2010年11月 8日 (月)

中国式の二階連続建町屋

中国式の二階連続建ての町屋も少し残りますが、だいたいは四、五階建てのビルとなって、大きな漢字の看板の脇には洗濯物が干してあったり、バルコニーの植木鉢が並べられていたりする。

細い路地裏を探索して行くと子供達が遊ぶ庭に出て、そんな所にもけっこう植木が置かれ、決してきれいとはいえないかもしれないが、生活の工夫は見られます。

例えば先進国の公営の押しつけ住宅などよりも生き生きと生活空間を自主的に形成しています。

つまりこの街は、食べるという意志と、商いをするという意志と、住まうという意志とで形成されています。

それぞれの意志が強固に高密にスペースを主張し合って、あらゆる隙間が利用され尽していくことによって築かれた街です。

そこには機能を分離するというような近代都市の理念は存在しません。

ここでは人間と食べ物と商品が一体です。

それが生活の形態であり、もはや生物的様態です。

彼等は昔からそれを生活信条として守っています。

宗教よりも思想よりも国家よりも、この信条は強い。

人と食べ物と商品が一体となった生活形態の華僑の姿を見ていると、都市経済を担う新興市民階級、いわゆるブルジョワジーの勃興によって近世市民社会が封建社会に代わって形成され、資本主義国家として発展するという一般的な歴史認識も、どこか説得力を失ってくるように思える。

彼等は大昔からこの生活形態で都市経済を動かしてきたのではないでしょうか。

その生活信条の前では、国家としての経済発展段階理論など意味を持たなかったのでしょう。

そして華僑は、今やそのままのスタイルで、香港やシンガポールを中心とする国際的な巨大経済機構を築き上げています。

この現実の前には、やはり国家概念を中心とするヨーロッパ中心主義的な、経済段階的歴史認識を是正する必要があるのではないでしょうか。

彼等はもともと商売人であり、もともと個人主義的であり、しかも同時に血族的な封建的人間関係社会の中に生きています。

国家という枠組みの概念に拘束されない極めて都市的な経済機構は、中世的ながらも現代的な一つの社会として、東南アジアに強大な力を構築しつつある。

食べ物と商売という生活形態は、大昔から続いていて、決して古くならないものなのかもしれません。

大木一雄(旅行家)

2010年11月 7日 (日)

バンコックで他に眼につくのは食料品です。

えび、かに、魚、鳥肉、豚肉、牛肉、貝類、ドリアン、バナナ他、果物、野菜がかごに山盛りにされて、あるいは大きな鍋に入れられて、あるいは屋台の上部に吊り下げられて売られています。

この街では貨幣という抽象的な価値規準よりも、食料が全ての交換の価値規準となるのではないでしょうか。

とにかく"食べる"ということと商売することとが密接に結びついています。

その他、薬、たばこ、花、宝くじ、カセットテープ、洋品、雑貨、およそ生活に必要と思われる物がすべて集まっています。

欧米や日本では、店舗というとまずアパレルというのかファッション関係のショー・ウィンドウが眼につくのですが、チャイナタウンではそれが相対的に目立たない。

日本ならスーパーマーケットに閉じ込められているはずの物が、街の前面に一挙にあふれ出ています。

あらゆる形態で売買されるというのは、きちんとした店構えを持つものから、ビーチ・パラソルの下にイスを並べた食べ物屋から、路地裏の軒下を利用して机を並べたものから、天秤棒から、屋台から、ただの机から、むしろの上からということで、とにかく手段を選ぱずに空間を利用して商売をする。

にわとりがバタバタ歩き回っている路地裏で、カゴに入れられた鳥が売られ、その隣では鳥肉がぶら下げられ、その隣では焼き鳥のくしざしが売られています。

しかも、この喧喚の商業空間の裏には人が住んでいます。

大木一雄(旅行家)

2010年11月 6日 (土)

食・商・住

日曜日はさすがにバンコックも休む店が多く、少しは静かになるのですが、それでもただ一画、平日と同じように朝から晩までにぎやかに活気づいて、フルに回転している街がある。

ヤワラと呼ばれる地区、チャイナタウンです。

バンコックの他の地区の店はシャッターを降ろした人気もないまだ静かな早朝から、その一画だけはうなりを上げて回転を始める。

人々が忙しく行きかい、車道には乗用車、トラック、オートバイが先を争ってそれぞれの隙間を埋めようとします。

歩道には次々と天秤棒にかごをさげた行商人が、あるいは屋台の食べ物屋が店開きし、歩道の幅を狭めていく。

建物は看板で覆われ、歩道は商品で覆われる。

この街では、ありとあらゆる物が商品と化し、ありとあらゆる形態で売買されます。

まず眼につくのは食べ物屋でしょう。

肉団子のようなもの、鮫子のようなもの、焼き鳥、焼きそば、唐揚、煮込、まんじゅう、種々雑多の食べ物が道行く人の眼の前で料理されています。

ある人は店構えの中で、ある人は歩道に並べられたイスで、ある人は立ったままで食べます。

欧米や日本でなら、台所や食品庫は表には出ず裏に隠れているものですが、この街ではそれがまず店頭に張り出しています。

食べ物屋なのだから食べ物を見せるのが考えてみれば当り前なのだ。

ろう細工のサンプルを並べるような"にせもの"商法はこの街では通用しません。

大木一雄(旅行家)

2010年11月 5日 (金)

近代化を遂げた国

経済が既に近代化を遂げてしまっている国では、その国の都市体系に文化機能が大きく固着し、動かし難いものとなっています。

まだ新しい経済体制の建設途上についたばかりの若い国では、都市にこういう文化機能がまだ固着していないか、あるいは古い都市の伝統的な文化を振り切ろうという意図が、遷都に隠れています。

即ち遷都の難しさは、建物や道路の建設という経済的な力よりも、文化的な固着物、都市に蓄積された文化的構築物を移すことにあるということだ。

建物や道路は数年で建設できますが、都市の文化は簡単には構築できません。

逆説のようですが、建物は移せても文化は移せないのです。

実際、ブラジリアなど新都市では、建物や道路が完成しても、人間がなかなか住みつかないという現象が起きています。

未来都市を思わせるすばらしい建築群が、ゴーストタウンのように人影もないまま近代的な彫刻とともに立ち並ぶのは、むしろ薄気味が悪い。

人々はまだリオデジャネイロやサンパウロの狸雑なる文化的魅力の中に生きています。

歴史上、同一民族同一権力でありながら、一国の首都をやたらに動かした例を日本の古代社会に見つけることができる。

飛鳥から藤原宮遷都、平城京遷都、長岡京造営、平城京遷都、この間百年です。

よくこれだけ動かしたものですが、この頃の建物は木造で、仏寺を除いては比較的寿命が短い草葺き掘立柱という構法であったためもあろう。

だが最大の理由は、もちろん政治的なものであり、また文化的なものでもあります。

大和朝廷が政治権力としての安定に向かう動きと、仏教という新思想が日本文化の中に大きな力を築いていく動きとの綱引きによって、この国の首都は揺れ動いたのです。

建物や道路を動かすのはできないことではないですが、そこに積み重ねられた文化を動かすのは困難なことです。

沈む街バンコックの都市としての活況に、人間が物的環境として構築する都市に、時間とともに必然的に積み重ねられていく文化としての構築、それも極めて狸雑な生活文化としての構築物を思い浮かべました。

大木一雄(旅行家)

2010年11月 4日 (木)

西アジア・中南米

西アジアあるいは中南米には、過去の栄光を偲ぱせる壮大な遺構が発見されます。

またローマも西安も、既に昔日のローマではなく、長安でもない。

むしろ古代ローマの帝都は死し、唐の長安も滅び、その地に新しく別の街が営まれていると解釈すべきかもしれません。

しかし、それは都市の巨大化そのものによると簡単に決めつけられるものでもないでしょう。

それはむしろ、文明の興亡、民族の興亡、政治権力の興亡と軌を一にするものです。

一般的にいえば、政治権力の興亡の周期は民族の興亡の周期より短く、文明あるいは宗教・思想の興亡の周期はこれより長いのです。

都市は、これらの興亡に共振しながら成長し、衰退し、生まれ、また死すのです。

バンコックのような場合は、遷都ということも考えられるでしょう。

日本でも時々起こる議論ですが、過密都市への機能集中に悩む国では、常に遷都、展都、分都、などということが考えられているものです。

事実、最近でも、国の公務機能を移すということは現実に行なわれた例がある。

ブラジルのブラジリア、インドのシャンディガール、オーストラリアのキャンベラなどですが、これはそう簡単なことではない。

まず強大な国家権力と経済力が必要とされます。

しかし、現実に行なわれる国は、経済強国よりも、むしろ発展途上国あるいは近代経済国家として若い国であるようです。

これはおそらく、遷都に必要なものが、経済力よりも何か文化的な性格のものであることを示しています。

大木一雄(旅行家)

2010年11月 3日 (水)

高密な都市機能を構築する人類

人間は、より高密な都市機能を構築し、より濃密な文明の利便を形成する本能を有しています。

この法則によって、村より街へ、街より都市へ、都市より巨大都市へ、より濃度の高い中心へ向かって、機能集中して行く。

昔から、都市を限定する物理的条件は土地と食料と水であるといわれています。

しかし人間は、土地による限定を克服するために高層建築を発明し、交通機関を進歩させました。

食料の限定を克服するために大量輸送網を築いた。

水の限定を克服するために、ローマ人はアルプスの麓からでも水道を引いた。

それだけの代償を払っても、都市の膨張は続くのです。

機能集中の自律的な力がいかに強いかです。

バトリック・ゲデスの説によれば、都市は最初の段階であるエオポリスに姶まり、メトロポリスに成長し、やがて巨大都市メガロポリスとなって、最後にはネクロポリスとなって死滅するという生命現象的な周期性を持つということですが、確かに都市は動き続けて静止しない。

発展か、さもなくば衰退の方向に向かいます。

全ての都市が巨大都市となって死滅への道をたどるとは思えないが、確かに歴史の中で衰退し、あるいは崩壊し、消滅した大都市は数多く存在します。

大木一雄(旅行家)

2010年11月 2日 (火)

沈みゆく街

バンコックは、沈みゆく街です。

年に数センチの単位で地盤沈下する。

大きな建物は沈下をおそれて杭を打つのですが、周りの地盤が沈下してかえって建物が浮き上がってしまうようなことになります。

この街はそのうちに海の底に沈んでしまうのではないかと心配になるほどですが、それでも都市バンコックは膨張を止めない。

人口は増え、ビルは建ち続けます。

考えてみれば不思議なことですが、おそらくバンコックは、より高く堤防を築き上げながらも成長を続け、繁栄を保ち続けるのでしょう。

なぜ人々は他所に移り住まないのか、と単純に考えるのですが、都市というものはそういうもので、大地に根を張ったように動きません。

都市である、というそのことのために、人が集まり、先の不安より現在の繁栄に生きるのです。

いかに地盤が沈み将来に展望がなかろうとも、バンコックは東南アジアでもっとも安定した、繁栄を約束された都市です。

サイゴン(現在のホーチン市)やプノンペンやビエンチャンの経験した運命と比較すれば、バンコックの安定と繁栄はインドシナ半島でずば抜けています。

少しばかり地盤が沈もうと、投資効果の計算さえあえばビルは建ち続ける。

それが都市経済の原則であり、成長し繁栄する都市においては、投資を償却する期間は存外短いものです。

都市は自己増殖するものです。

人は人を呼び、仕事は仕事を呼び、機能は機能を呼び、文化は文化を呼びます。

例えてみれば植物の群落のようなもので、どこまでも増殖を続けようとします。

人類が交易のための小さな市場の位置を定めて以来、余剰生産の量の拡大とともに、交易の量の拡大とともに、市場経済は拡大し、都市機能は増大し続けてきた。

それが成長し、やがてはローマとなり、長安となり、江戸となり、パリとなり、世界中の都市機能は増大し続けてきたのです。

いってみればそれは、巨視的な歴史の不可逆過程でしょう。

都市とはそういうものであり、文明とはそういう方向へ歩むものです。

大木一雄(旅行家)

2010年11月 1日 (月)

繁華街にて

バンコックの繁華街ではパッポンが有名ですが、ここはアメリカの出先のような所で、日本人はあまり出入りしません。

日本人が行くのはタニヤ通りが有名で、日本語の看板をかかげた飲み屋が並んでいます。

こちらは日本の出先のようで、店の中でもキリンビールにサントリーオールド、日本語の演歌。

パッポンでは全てが英語で、店の中ではトップレス・ガールがテーブルの上でゴーゴーを踊り、客はカウンターでそれをながめながら、現金と引き換えに酒を飲む。

風俗も全くアメリカ的です。

ベトナム戦争時代は米兵であふれていたに違いない。

反対にタニヤ通りの店は全く日本的で、ボックスにホステスをはべらせ、テーブルにボトルを置いて飲み、歌う、というスタイルです。

夜の街でも、バンコックは東西の十字路です。

日本では、メナム川という名で知られていますが、メナムというのは川の意で、タイではこの川はチャオ・プラヤーと呼ばれています。

バンコックは、このチャオ・プラヤーによって、都市としての構成を規定されています。

運河は、この川に集結する。

チャオ.プラヤーの対岸をトンブリというが、最近はこのトンブリ地区も大いに発展してきています。

あるプロジェクトの敷地調査でトンブリ地区をドライブしたのですが、一本道をスピードを上げて走りながらも、時折、急にスピードを下げて大きくアップ・ダウンしなければならない。

まるでスピードの出し過ぎを規制するための都市計画的バリヤーかと思わせますが、これは川なのです。

日本でも、橋は周りの道路より少し高くなっているのが普通ですが、バンコックではこれが極端で、車が川に当たるたびに急減速することになります。

川の水面よりも、道路、即ち地盤面が低いからです。

大木一雄(旅行家)

2010年10月31日 (日)

水運行商

バンコックというのは水運行商の街から始まったのでしょう。

現代の大都市は、自動車・近代建築・高層ビル・コカコーラにハンバーガーと、どこも同じような様相ですが、よく見ると、どこかにその都市の「なりたち」、即ち風土と歴史が刻まれています。

同じ東南アジアでも、ラングーンとバンコックではずいぶん違う。

同じように見えるコンクリートの建物のファサードでも少しずつ異なる傾向があり、風土と歴史を反映させる。

日除けのとり方一つでも差のあるものなのだ。

東南アジアの都市の中で、バンコックは日本の大都市に似たところがある、と私は感じた。

これは微妙なことではありますが、都市の「なりたち」がどことなく無思想で、脱イデオロギー的なのです。

例えばラングーンは十九世紀英国流の都市計画思想によって造られていますが、バンコックにはそういう思想は感じられない。

都市計画の面だけでなく、街を構成する建築の在り方も実に多様で、看板を出し、バルコニーを出し、ガラスを入れ、サッシュを使い、テレビのアンテナを立てる。

その雑然とした姿がどうも一時代前の日本の大都市の在り様に近いのだ。

これは、植民地の経験がなかったという共通点にもよるのでしょう。

もちろん、現実に日本人も多い。

日本の商品も日本の会社も多い。

日本料理屋も多い。

ラングーンの行き帰りは必ずバンコックを通過するのですが、バンコックに帰るとホッとするものです。

スシも食えるし、オデンも食える。

日本酒も飲めます。

大木一雄(旅行家)

2010年10月30日 (土)

経済援助

日本は今でもこの国に多額の経済援助を続けていますが、むしろそういう政治構造を無意識のうちに演出されているのではなかろうかと思えてきます。

建物をよく見るとシャッターが非常に眼につく。

一階の通りに面した部分には壁を造らず、柱・梁の間をシャッターで閉じます。

それも、通風のためか格子状のリング・シャッターが多い。

朝早くあるいは夜間、街を歩くと、ほんとうにシャッタ!に囲まれている気がする。

これは私が建築を業とする者だから特に気がつくことなのかもしれないが、バンコックの街の特徴をあげうといわれれば、私は露店とこのシャッターを第一にあげる。

昼間はもちろんシャッタ!は開けられて、内部と外部が地上階では一体になります。

つまり、露店とシャッターとは都市構造として独立した事象ではなく、連携しているのだ。

壁があってドアがあってという建物は少なく、また大きなショー・ウィンドウも少ない。

考えてみればシャッターは内部と外部を「区切る」ためのものではなくて一体にするための道具なのであり、夜だけの簡易な管理法なのです。

ビルの一階はむしろ露店の延長になります。

これは、例の水上マーケットの小舟と河の両脇の水上住居の関係と同じです。

こう考えてくると、これまでに気のついたバンコックの特徴は全て一つの起源につながっているように思えてきます。

空から見た運河のネット・ワーク、フローティング・マーケット、水上住居、無造作に突き出した日除けの壁や床スラブ、歩道に並ぶ机、椅子の食堂、縁日のような夜店の光景、天秤棒の行商人、建物のシャッター、これらの事象は、おそらくバンコックという都市の「なりたち」を象徴しています。

大木一雄(旅行家)

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