中国式の二階連続建町屋
中国式の二階連続建ての町屋も少し残りますが、だいたいは四、五階建てのビルとなって、大きな漢字の看板の脇には洗濯物が干してあったり、バルコニーの植木鉢が並べられていたりする。
細い路地裏を探索して行くと子供達が遊ぶ庭に出て、そんな所にもけっこう植木が置かれ、決してきれいとはいえないかもしれないが、生活の工夫は見られます。
例えば先進国の公営の押しつけ住宅などよりも生き生きと生活空間を自主的に形成しています。
つまりこの街は、食べるという意志と、商いをするという意志と、住まうという意志とで形成されています。
それぞれの意志が強固に高密にスペースを主張し合って、あらゆる隙間が利用され尽していくことによって築かれた街です。
そこには機能を分離するというような近代都市の理念は存在しません。
ここでは人間と食べ物と商品が一体です。
それが生活の形態であり、もはや生物的様態です。
彼等は昔からそれを生活信条として守っています。
宗教よりも思想よりも国家よりも、この信条は強い。
人と食べ物と商品が一体となった生活形態の華僑の姿を見ていると、都市経済を担う新興市民階級、いわゆるブルジョワジーの勃興によって近世市民社会が封建社会に代わって形成され、資本主義国家として発展するという一般的な歴史認識も、どこか説得力を失ってくるように思える。
彼等は大昔からこの生活形態で都市経済を動かしてきたのではないでしょうか。
その生活信条の前では、国家としての経済発展段階理論など意味を持たなかったのでしょう。
そして華僑は、今やそのままのスタイルで、香港やシンガポールを中心とする国際的な巨大経済機構を築き上げています。
この現実の前には、やはり国家概念を中心とするヨーロッパ中心主義的な、経済段階的歴史認識を是正する必要があるのではないでしょうか。
彼等はもともと商売人であり、もともと個人主義的であり、しかも同時に血族的な封建的人間関係社会の中に生きています。
国家という枠組みの概念に拘束されない極めて都市的な経済機構は、中世的ながらも現代的な一つの社会として、東南アジアに強大な力を構築しつつある。
食べ物と商売という生活形態は、大昔から続いていて、決して古くならないものなのかもしれません。
大木一雄(旅行家)

